母への期待
私の母はバリバリのキャリアウーマンでした。
なので、かぎっ子だったし、学童保育にもいかないといけなかったし、人に預けられることも頻繁で、長期休暇は電車もバスもないド田舎の祖父母の家に置いてかれていました。
祖父母は自営業だったし、昔の人だったので愛情があったのは伝わりましたが、構ってはもらえませんでした。
そんな環境でそだったので、「家庭的なママ」に憧れたし、大人になったら私は「家庭的なママ」に絶対なると思っていました。
私はずっとそこのインナーチャイルドを癒す必要がありました。
インナーチャイルドを癒しつつ、母とも向き合いました。
私人が大人になり、結婚し、子育てをする中で、母のことが理解できることも多くありました。
私人も母となり母に対しての言動が甘えてばかりだった子どもの頃とは変わりました。
子どもの頃よりも母とは確実に関係性が変わり、上手く付き合えるようになりました。
私はその状態で満足していたのですが、本当の根本的な部分で腑に落ちていませんでした。(ということを、実は自覚していなくて、あることに気が付いて分かりました。)
というのも、私の完全なる理想(学校から帰ったら家にいてくれて、おやつ作っててくれたり)の母親だったとしても、自分軸タイプだったら全く持って合わなかっただろうなと想像できます。
これは親が他人軸・子どもが自分軸な場合でもおなじで、「心のズレ」です。
現実の母親が家にいてくれても、手料理・手作りのおやつ作っててくれていても、根本部分で思考・言動のズレがあるので、子どもの私は心が満たされなかったと思います。
逆にバリキャリのママでも、いくら人に預けられても、他人軸タイプの母がフォローしていてくれたら、こんなに孤独を感じた幼少期ではなかったと思います。
そのことに気が付いて、本当に腑に落ちました。
「母」という概念から解き放たれた気がしました。